| 極天の鳥居 笠沙 笠沙の岬碑 愛の霊泉 癒しの磁場 海幸山幸展望台 | ||
| 391年前の記録・男女平等の證[あかし] 笠沙の岬は大きく二つの山に分かれます。東側が少し小さく 南側は大きい山です、主体を成す大きい山の山上にある神社 が愛宕神社奥の院です。奥の院の鳥居が変わった鳥居なの です。写真を良く見てください、下は石造りですが、鳥居の笠 の部分は木製です。 ![]() この鳥居横には、由来の碑がありその内容は以下の 如くである。今から391年前延岡城主有馬直純の奥崎 日向御前が愛宕山が婦女子の登山を禁止して居る事 に対し男女の権利平等である、男女差別を無くす為に 臣下婦女子を引き連れ奥の神社に参拝を行い、その証 として鳥居を奉納した。その鳥居を保存するとある。 |
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| 元延岡城主有馬左衛門佐直純ガ肥前島原四万石の城主 であった慶長十九年七月更に一万三千石増封があって 五万3千石延岡の城主となった直純の室は徳川家康愛 寵の曽孫日向御前である。従ってその生活も亦○○で化 粧料として別に美濃国に二千石が充てられていたその 名高き日向御前が愛宕神社は山腹の拝殿以上婦女子の 登山が禁止されているのを遺憾として男女は元同権で ある如何にして○の如き差別をなくするかと自ら先づ 臣下婦女子を伴い山頂の奥神殿に参拝した而してこの 證として木造鳥居を建立奉納したこれが○の鳥居の由 来である今其の笠木が残存している直純ガ延岡移封は 実に三百四十八年前のことでその頃より此の如く由緒 深い鳥居であった茲に残存せる笠木を愛宕神社氏子総 代会に於て之ガ顕彰を決議し保存することにした 昭和三十七年三月 中西松江 題額 年森榮選書 |
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