| 笠沙の岬 「日本最初のデート地」・「出逢いの地」 笠沙 海幸山幸展望台 愛の霊泉 癒しの磁場 極天の鳥居 | |||||||||||
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延岡市の中心にそびえる山、現在名「愛宕山」日本書紀及び古事記に記載の笠沙の岬ではと言われています。 愛宕山は昔は笠沙山と呼ばれていましたが、1601年高橋元種氏が亀井城を築城に際し、亀井城跡おいてお祭りしていた愛宕神社を移転をせざるを得なくなり、現地(愛宕山)に神社をお移しになられたおりから、愛宕山と称するようになったと謂われています。 記紀伝説では、には天孫ニニギの尊が「吾田之長屋之笠沙之碕二留リ住シ」とあり、現在も安賀多と言う地名は残ります。これは吾潟若しくは亜潟であり、潮が引くと一面葦原や汐入の潟であったろうと想像できます。古来よりこの地はあがたと呼ばれており、1614年(慶長19年)有馬直純がこの地に移封されます時に、県(あがた)城を延岡城と呼ぶまで、延岡の地は県(あがた)と呼ばれていました、字は英多郷、吾田、縣、現在の安賀多等と色々な当て字が使われていたようです。 山の麓には洞窟貝塚があり、又周辺の小山の麓にはそれぞれ、貝塚や古墳が散在しております。この地方が旧石器時代より、人の住するに適した土地であり、現在は街に突き出た岬ではありますが、当時は間違いなく海であった証拠です。 記紀伝説によると、笠沙の岬はニニギの尊と木花咲耶姫が初めて出逢った所とされています。 紀元2600年に建立された、笠沙の岬及び碑と裏に書かれた、延岡聖跡顕彰会の碑文は以下の通りです。 日本書記ニ曰ク天孫瓊々杵尊日向ノ高千穂ノ峰ニ天降リ吾田之長屋之笠沙ノ碕ニ留リ住ミ給フト古事記ニハ笠沙之御前ニ眞來通リ朝日之直刺國夕日之日照国ナリト詔シ宮柱建テ給フト風土記高千穂ハ臼杵郡ニ在リト傅ヘ尊ノ御陵傅説ノ地ハ縣北北川村ニ存ス吾田ハ後ノ縣ニシテ今ノ延岡地方ナリ愛宕山舊ト笠沙ト称シ山上霊泉湧キ眺望雄大朝暉夕熏美ヲ極ム此丘陵ハ太古ニ於テ延岡湾ノ突角ヲ為シ湾ヲ圍ム四邊ノ地ハ流注河川ノ為メ沃野ト化シ古來民族居住ノ好適地シテ古墳遺物ニ富ム然ラハ即チ天孫日向降臨後第一ノ尊都ハ蓋シ此地方在リシカ 紀元二千六百年建立 延岡聖跡顕彰会 |
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